ピエールSの戯言

自分の趣味の音楽や車、考え方、そんなのを書くだけ

自由選択はうれしいことなのか

世の中には、そして特に情報社会化した現代においては、色々な選択ができる。

朝食は何にしようといった簡単な選択から、仕事を選択する自由、なにかを習う理由など。

一番多く直面する場面といえば、スーパーマーケットではないだろうか。

多種多様な食材が目の前に並び、晩飯をその食材から考える。

似たような材料や調味料が大量に目に入る。

カレーにしようか。いやシチューにしようか。あ、肉が安いから焼肉にしようか。

非常に迷うものだ。

では、ここでの最適解とはなにか…?

取り敢えず、手に取ったものを活かすことだ。 

 

 

さて、今回の9章ではそんな選択の自由についての話だ。

著者曰く、選択の自由のせいで本来の目的から逸れてしまうのだとか。

では、9章【扉をあけておく】

-なぜ選択の自由のせいで本来の目的からそれてしまうのか-

を見ていきたい。

 

 

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 この章も案の定、過去の事例から始まる。

今回は中国史にまつわるものだ。

 

項羽のやり方

紀元前209年、項羽は秦を攻撃するために黄河を渡った。その晩、兵たちは川岸で一晩を過ごした。

朝になると河を渡ってきた船が燃えていることに気付く。秦の攻撃かと思ったが、項羽によるものだった。

項羽は、逃げ道がなければ、勝利するか全滅するまで戦うしかないと兵士たちに話した。これにより項羽の人気が下がったのは言うまでもない。

しかし一方で、その場にいた兵士たちには効果が絶大だったらしく、その後、九つの戦いに勝利し、秦軍の主力部隊を壊滅させた。

このように項羽は普通のやり方とは全く逆の路線を貫いた。

普通であれば、別の選択への扉が閉ざされると思うだけで耐えられないから何かしら対策を講じる。

例えば、退却せざるを得ない場合に備え船の見張りをつけたりとか、長期戦に備え食事係を設けるなど、あらゆる事象に対してリスクヘッジするはずだ。

 

愚か者のゲーム

現代世界でも私達は選択の自由を残しておくために必死になる。 

 家電品の有償保証サービスといったものから、子どもに対して色々な習い事をさせたりなどである。

いずれも選択肢を残すため、ほかの何かを手放している。

例えば、有償保証であればその分の追加費用を支払ったり、習い事であれば、色々な経験をさせようとするあまり、自分と子供の時間と子供が一つのことに秀でる機会を手放している。

つまり、私達は何か重要そうなことの間を行き来しているうちに、本当に重要なことに十分な時間を割くことを忘れてしまう。

著者はこれを《愚か者のゲーム》と呼んでいる。

なぜ多くの人は、大きな犠牲を払ってまでも、できるだけ多くの選択肢の扉を開けておかないと気が済まないのか。

 

扉ゲーム実験 

 これを検証するため、著者らは扉ゲームという実験を行った。

ノートパソコンにそれをプログラムして、何人かに検証をしてもらった。

実験内容はこうだ。

1.画面には赤・青・緑の3つの扉がある

2.扉をクリックすればどれでも入れいる

3.部屋にはそれぞれ決められた範囲の金額が割り当てられているが表示されていない

4.一つの部屋に入ったら、クリックするごとにある程度の金額が表示され、実験者に入る

例えば、1セントから10セントの部屋(この時点では表示されていない)では、室内でクリックするたび(ここでクリック分の金額が表示される:例3セント)、その分が手に入る、という感じ

5.クリック回数は100回

 

つまり、金額の範囲が多い部屋を見つけ、その部屋でできる限り多くクリックすることで最高金額が稼げる、というわけである。

しかし、簡単にはいかない。

部屋の移動のたびにクリック1回分消費することになる。

つまり、部屋の移動がもっとも高い賞金を探す手段である一方、移動するためにはお金を稼げたかもしれないクリックを無駄に使うことになる。 

 

 アルバートがまずこの実験に選抜された。

赤い扉を選び部屋に入った。1回目は3.5セント、2回目は4.1セント、3回目は1セントだった。この後、何度か試し、緑の扉へと興味が移った。

緑へ移動し、クリックをすると1回目は3.7セント、2回目は5.8セント、3回目は6.5セントであった。この感じだと赤い扉より賞金が良いみたいだ。

でも青い部屋は?これも気になりクリックしてみたが、3回とも4セント未満であった。

 この段階でアルバートは緑へともどり、残りのクリックをここで全て費やした。

正直アルバートは苦労をしていない。

なぜならクリック数は消費するが、扉そのものは消滅していないからだ。

 

では、この扉が消滅するとしたらアルバートはそのままにしておくのか、それともできるだけ長い間すべての選択肢にしがみつこうとするのだろうか。

 

 

消える扉実験

 というわけで先述の条件に加えて、どの扉も12回分の間放っておくと永久に消えてしまう、という条件を加えた。

 

サムはこの条件での初めての協力者だ。

サムは青を選び、中に入って3回クリックした。すると賞金が加算始めたが、一方で、ほかの扉が1/12ずつ縮小し、そのまま放っておくと消えてしまうことを知らせていた。

後8回クリックすると残りは完全に消えてしまう。

それに気付き、サムは赤の扉をクリックした。赤の扉は通常時の大きさに戻り、3回クリックしたが、緑の扉が目に入った。後4回クリックしたら消えてしまう。サムは今度は緑の扉をクリックした。

どうやら緑が一番良さそうだが、とどまるべきか否か…。ここで表示されている金額は範囲の中での金額であるため、現状が高くとも別の扉の方が高い可能性もあるのだ。

サムは緑をクリックする一方、青も気になる。赤も気になる。赤に行っても青と緑が気になりクリックする。

そのうち、サムは選択しから選択肢へとあたふたと飛び回り始めた。さながら、いつも何かに急き立てられている親が、子どもに習い事から次の習い事へと急いで送り届けているようだった。

 

この結果からわかることは、あちこち移動するのはストレスになるだけでなく、不経済であるということだ。

実験協力者たちは、扉が閉ざされてしまわないように必死になるあまり、扉が消える心配をしなくて済んだ実験者よりも獲得金額が15%も少なかった。

本当であれば、どの部屋からでもどれか1つだけ選んでいれば賞金を稼ぐことができたのだ。

ここでは、賞金と表現しているがあくまでも実験結果としての表現であり、これが人生や仕事としても表現できる。

 

 

価値のない扉

これらの価値のない扉から自由になるにはどうすればいいのか。

哲学者のエーリヒ・フロムによると、現代社会において私たちはやりたいことはなんでもできるし、なんにでもなれると言い聞かされる。この問題はふさわしい生き方をすることにある。私達はあらゆる方向に自らを成長させなければならない。人生のすべての側面を味合わなければならない。だが、ここで問題が生じる。

私達はいろんなことに手を広げ過ぎてはいないだろうか。

フロムの指摘している誘惑は前に見た通りだ。

この現象で特に奇妙なのは、ほとんど価値がない扉を追いかけたい、という衝動だ。

普段の生活で言うのであれば、バーゲンセールが終わる頃にはすべて売れてしまって、二度とその値段で買えなくなるからという理由で、いらない特売品を買ってしまう行為だろう。

 

しかし一方で、消えかけている扉が、すぐに注意を向けなければならないこともある。

例えば遠距離恋愛をしていて、週末だけしか会えないとしたらその時間は大事にするだろう。しかし、これが同居した結果、週末には遅れ分の仕事をしなければならないという理由で二人の時間が無くなってしまった。

この人らは、これに対して意識を変え、結果的にうまく週末を二人の時間として過ごすことが可能になった。

 

 

教訓

では、これらの実験や例からどうすればいいのだろうか。

著者は、私達に必要なことは、いくつかの扉を意図的に閉じることだと結論している。

そのままにしておくと本当に開けておくべき扉からエネルギーと献身を吸い取られてしまうからだ。