ピエールSの戯言

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英国ジャガーの歴史(後編:1960年代~現在)

さて、前編ではジャガーの始まりから戦後直後までの歴史を見てきた。

サイドカービジネスから始まり、価格を抑えながら高性能で上品な車作りに成功したジャガー

このまま英国のラグジュアリーカーメーカーとしてリードすると思われたが、そう上手く軌道に乗り続けることはなかった。

そんな1960年代から見てみたい。

 

1.1960年代

1959年に発売されたマーク2はジャガーの名に恥じない、高性能でありながらも上品さを持つ自動車であった。このため、当時の市場には大きな影響を与えた。その人気は半世紀過ぎた現在もなお続いており、当時でも大人気となった。

このため工場を拡大する必要があり、1960年には高級車メーカーのデイムラーを340万ポンドで買収。これにより、コヴェントリーのデイムラーを傘下にし、増産体制をとることが可能になった。

またこの買収により、その後のデイムラーの車種はジャガーのバッジエンジニアリングモデル、つまり兄弟車種で占められるようになるが、グリル上部にある波打ったデザインのフルーテッド・グリルが残されるようになった。

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フローテッド・グリル

そして、1961年。

あの名車が誕生する。

ジャガーEタイプである。

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Eタイプ

Eタイプは美しいボディーラインのみならず、直6気筒の高性能エンジンを搭載した結果、最高速度240㎞/hを実現し、瞬く間に人々の憧れの車となった。

あの、フェラーリ創始者であるエンツォ・フェラーリ氏も絶賛したことで有名だ。

この車はXK120の後継モデルであり、長いボンネットや流線型のボディーなどが特徴的である。

もちろんこの車にも価格を抑える戦略が用いられ、他社の同レベルの車と比較しても安く、アストンマーティンDB4の約半分程度の価格だった。

またこれと同時に、マークXも発表された。

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マークX

見た通り、これは後のXJへとデザインが引き継がれていく。

モノコックボディーで見た目の割には車重が抑えられ1.9トンとなっている。

機構的にはジャガー4ドア車としては初めて四輪独立懸架が採用された。Eタイプに採用されたものを流用したものだ。

以上のように車作りでは好調であったが、経営の雲行きが怪しくなる。

1966年7月にイギリス最大の自動車会社グループのブリティシュ・モーター・コーポレーション(BMC)と合併し、ブリティシュ・モーター・ホールディングス(BMH)を結成した。

ジャガーはこれより前は売り上げ等の経営は上手くいっていた。しかしイギリス自体の経済は好調ではなかった。しかも当時はアメリカの自動車メーカーが勢力を伸ばしていたため、これに対抗もとい、生き残るために1952年にオースチンとナッフィールドが合併を行い、BMCとなった。しかしこれでも経営悪化が止まらず、さらにジャガー自身も経営が悪化し始めた結果、安定化のために合併を行った。

しかし1968年には、BMH自体が経営不振に。

これを重く見たイギリス政府はもう一つの資本グループであるレイランド・モーター・カンパニーとの統合を決意。ローバーグループも加わり、ブリティシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)となった。

このような混沌とし始めた経営の中、ジャガー最大の傑作といっても過言ではないモデルが発表される。4ドアサルーンのXJだ。

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1968 JAGUAR XJ

マークXのデザインを引き継ぎ、洗練されたデザインを持つ一台となった。

車重は1.5トンと軽量化され、運動性能も向上した。またボディーとサブフレームの間にラバーブッシュを挿入し、雑音や振動を遮断することに成功した。タイヤもダンロップと共同開発したもので、これも静穏性や振動防止に一役買うことになった。

この結果、ロールスロイスをも凌ぐ静粛性と快適性、サルーン以上の運動性能を実現し高い評価を受けた。

そして、この車が、あのイアン・カラム氏の感動を呼んだのだ。

しかし、これで安心はできなかった。

BLMCとしてグループ化した結果、作業員のレベルが次第にBLMCの平均に下げられることとなり、後に品質低下を呼び起こすことになってしまったのだ。

 

2.1970年代:ジャガーの冬

作業員レベルがBLMC平均に下げられ、さらに労働運動の激化により品質低下に陥った結果、販売台数が大幅に減少してしまった。また、ライオンズらの重鎮が高齢を理由に1972年に引退を決意。

これにより混乱に拍車がかかってしまう。さらにオイルショックの影響も加わり、世界的に自動車販売が激減。当然BLMCも大打撃を受け、5000万ポンドの借入金を抱えることになる。そしてついに1975年に国営化され、ブリティシュ・レイランド(BL)となる。こうして、BL体制のもとでXJが作られ、さらにEタイプの後継車としてXJ-Sが登場する。

だが、このBL、後にイギリスの悪しき象徴として語られるように、「状態化したストライキ、品質管理水準の低下、投資不足、政府の過剰介入、レベルの低いマネジメント、そしてこれらによる市場シェアの喪失」と評価されるように、とてつもなく残念なものだった。

この結果、XJ-Sは品質の低さやデザインが市場に受け入れられず、俗にいう「壊れるジャガー」が誕生してしまった。

そして、1979年にはジャガーの生産台数は5年前の半分以下にまで落ち込んでしまった。

そんな混沌としていた最中の1977年、BLの新しい経営者となったマイケル・エドワーズは会社の立て直しを図ろうとしていた。

 

 

3.1980年代:春の訪れ

とてつもなくカオスだった1970年代。しかし、1977年に新しい経営者、マイケル・エドワーズを迎えたことでよい方向へと向かっていた。

エドワーズはジャガーの独自性を評価し、ジャガーのトップとしてジョン・イーガンを抜擢する。そしてイーガンはジャガー立て直しのため改革を行うのだ。

1980年にイーガンは就任した。彼は日本企業のような品質管理システムを取り入れ、従業員の意識改革を進めたジャガーはイギリスを誇る高級車であり、それを作ることは誇りであるということを改めて思い起こさせたのだ。

さらに、取引先メーカーからのパーツ類の品質チェックの実施、経営陣と社員との品質に関する話し合い、顧客からの要望を聞き不具合対応などを迅速にし、改善活動を行い、不要な人材のリストラなどを進めた。

こうした努力の結果、品質は改善し、相対的に売り上げも伸びていった。

この結果、1984年にはサッチャー首相による民営化政策により、ジャガーはBLから離れ、再び民営化することに。

そして、1986年には新設計となるジャガーXJ6が誕生する。

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XJ6

またXJ-Sも伝送系やデザインなどマイナーチェンジを行い、この結果、技術面や信頼性の向上を実現し、新しいモデルとしてコンバーチブルを追加したことでアメリカで人気車種となった。

さらに1986年になると世界耐久選手権、WECにてXJR-8でシリーズチャンピオンを獲得。

1988年にはXJR-9LMでルマンに優勝するという好成績を収めた。

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XJR-9

その後、1989年にはジャガーに可能性を感じたことからフォードグループが25億ドルで買収。フォード傘下になる。

その後、同時期に買収されたランドローバーやアストンマーティンなどと共にフォードの高級車部門であるプレミア・オートモーティブ・グループ(PAG)の一員となった。

 

 

4.1990年代

フォード傘下になったことで、パーツの共有化も進められた。

1990年代半ばになると2つのモデルが登場する。

XJ-Sの後継のXKとマイナーチェンジを受けたXJである。

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1996 XK

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1996 XJ

XKはモダンなデザインでありながらも、Eタイプを彷彿とさせる流麗なクーペだ。一方でXJは原点回帰をし、初代を意識したデザインである。
このXJのデザインについて、イアン・カラム氏は「アメリカ人にデザインを制限されていた」と述べている。
機構についてはデンソーなど日本製品を用いり品質は向上した。

 

また、1999年にはリンカーンLSをベースにSタイプが開発される。

このSタイプはXJの下位モデルとして、新しい市場開拓のために開発され、フォード傘下になってから初めてのニューモデルだった。

しかし、アメリカナイズされた外装やそのまますぎるアメリカ車のメカニズムのため、短期間のうちにマイナーチェンジが行われた。

このマイナーチェンジにより改善され、最終的にスーパーチャージャーなどを搭載したり内外装の変更を行った結果、年間10万台を売り上げた。

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Sタイプ

 

さらにジャガー初の小型車種であるXタイプも市場に導入された。

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Xタイプ

これはフォード・モンデオのパーツを共有し、ジャガー初のフルタイム4WDとなっている。後にFFモデルも追加された。

そして1999年にはイアン・カラム氏がデザイン・ディレクターとして就任する。

 

5.2000年代から現在

Xタイプはアメリカでは3万ドルという低価格で販売され、市場規模の拡大を狙う試みであったが、売れずに販売不振、経営不振にまで陥ってしまった。

この時期からイアン・カラム氏がデザイナーとして活躍し始める。

2006年の二代目XKを皮切りに、2008年のXF、2010年のフルモデルチェンジしたX351型のXJのデザインを担当する。

しかし不況は止まらず、2007年~2008年にはリーマンショックによる世界的金融危機の影響により、フォードグループ自体が経営不振に陥り、PAGに属するブランドを売却せざるを得ない状況になった。

この結果、2008年3月にはジャガーはランドローバーと共にインドのタタ・モーターズに23億ドルで売却された。

この間もイアン・カラム氏がデザイナーを務め、2010年にはC-X75コンセプトカー、2013年のFタイプの監修も行い、その後もFペイスやIペイスなどに関わり、2019年に退社するまで、ジャガーのデザイン面で大きく貢献した。

 

そして現在に至る。

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二代目 XK

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XF

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X351 XJ

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C-X75

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Fタイプ

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Eペイス

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Iペイス

 参考

・英国の魂ジャガー(1922年)

https://gazoo.com/article/car_history/150227_1.html

 

WIKIPEDIA

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)

 

エンツォ・フェラーリをして「世界一美しい」と言わしめたスタイル ジャガーEタイプ

https://www.excite.co.jp/news/article/NoswebJp_nosweb_580/

 

ニコニコ大百科

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC%20%28%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%29

 

日刊自動車新聞社 牧野克彦著 「自動車産業の興亡」