勉強も大事だが遊びも大事って話
もしこれを読んでいるのが学生であれば、遊びは大事だから学生のうちにできるだけ遊んでほしい。
いやまあ、私のブログにそんな方々が来るとは思えないけど。
さて。
ではなぜ遊びが必要なのか、いくつか理由はある、と個人的に考えられる。
私は正直、遊びをあまりしてこなかった。
環境の影響もあれば、個人的な理由もあるけど、それは置いて。
ではなぜ遊びが必要なのか。
勿論、人に迷惑をかけない程度の遊びではあるけど。
- 自発的なものだから
まず、遊ぶ、というのはその人の欲の一つだと思う。
人に強制されず、自分の意志でポジティブな行動をする、という自発的なものだ。
それを抑制し過ぎてしまうと、本来自分のやりたかったことと乖離してしまい、最悪、無趣味人間と化してしまう。
そういった将来的なリスクを避けるためにも、遊びは極めて重要だと考えられる。
- 将来の投資にもなりうるから
アスリートや画家、クリエイター、創業者の自伝などを読んでいると、幼い頃に興味を持ったものに対して、それを突き詰めた結果、プロとして活躍している人が多い。
一方で、こういったプロになるのは一握りだ、だからやっても無駄だ、という意見がある。
そんなのはやってみなきゃ分からない。
それを理由に遊びを棄てるのはもったいないし、仮にプロにならなくとも、その過程において、どうすれば速く投げられる?、どうすれば上手く描ける?等遊びから”改善”を学べる機会もある。
そういった、過程を学べるから重要だと考えられる。
- 人脈の形成にも繋がるから
また、具体的なスキルや知識を身につけることで人脈もできる。
ゲームでのスキルでもそうだし、何かの知識でもそうだが、何か一つ得意なスキルや知識を身につけることで、友人が増え、人脈が増える可能性もある。
もちろん考えの違いもあるだろうが、そういった意見交換の場もあることで、自分の意見以外にも耳を貸す機会が生じる。
これにより、人脈は勿論のこと、討論などによりさらに新しい知識などが得られる。
勿論これ以外にもメリットはあると思うけど、個人的にパッと思いついたのはこの3つ。
私の身の回りの人の多くは、趣味が明確であったり、それに対してかなりの熱意を持っている。
正直、見ていてとてもうらやましい。
かくいう私は好きなものがあってもそこまで熱意を持って接することができなかった。
多分それは”遊び”を軽視しすぎていたからだと思う。
だから、社会人になってストレスが溜まってもそれを吐き出す手段が見つからず、ただただモチベーションが低下していったのだと思う。
ただようやくというか、このブランク期間の間で動画投稿やブログでの情報発信(?)をしたり、そしてそれらのプラットフォームを見て、何をしてみたいか、みたいなのが割と明確になってきた。
キャンプもやりたいし、レザークラフトもやりたい、自分の自動車を使って動画も撮りたいし、文字や映像媒体で情報発信もしていきたい。
そんな感情を今抱いてる。
だから是非、ほんの少しでも遊びたいもの・興味があるものがあれば、遊んでほしい。
私みたいにならないうちに。
火曜日の日記
いやはや、ここまでばっさばっさと書類審査を落とされると気が滅入りますね
本日の流れはこんな感じ
6時:起床
7時:就活(応募だったりメール確認だったり企業みたりだったり)
11時半:昼
13時:犬の散歩
14時:帰宅
15時:どうも気分が良くなく、気分転換に散歩
16時:現在に至る
以降は動画資料収集やらFPやらをやろうかなと
話題1:起きた時
そう。
それで6時ころ起きたんですが、なんだか糸が切れたような目覚めでとてもファッキンでしたね。
なんだったんだろうか。
話題2:料理
最近読んだ本の一つに落合シェフの本があったんです。
今までは割と簡単なレシピのモノを作っていたのですが、この本を読んで少し工夫を凝らしたものを作ろうと思い立ち、カルボナーラを作ってみたんです。
レシピ通りにやってみると、ホワイトソースなしで思いのほかおいしいのができて、流石シェフだなぁ、なんて感心していました。
話題3:FP
そもそもFPと何ぞ?ってくらいの知識から入ったのですが、覚える量がえげつないことに気付きました。
特に細かい数字。
~年金の~は~年以上加入、みたいなのだらけで発狂しかけました。笑
ただその一方で、大学時代に少しだけ年金問題に取り組んだことがあったので、そういう意味ではノスタルジーな感じになりました。
そして、社会人を経験した後と在学時の年金の考え方に少し違いが生まれていることに気付かされました。
というか、実際に働いてみて実感した、といった方が正確かもしれません。
まあ、いずれにせよ覚えることが多くて、暗記が苦手な私には結構大変だなと思いました。笑
こんな感じの日記でした
あと一再生で100再生なのでぜひ....
1週間の始まり
久々に定期的(?)にブログを更新したら、再度書いてみようかなという気持ちになったので少し書いてみたい。
話題1:ニートの一日
取り敢えず、ニートなわけですが1日何をやっているのか、というのを記していきたいと思います。
7時:起床
7時半:朝ごはん
8時:朝の就活
11時半:家族の昼ご飯作り
13時:動画作成の資料集め・FP勉強
15時:13時からの逆
18時:就活
19時:夕食
20時:動画資料
20時~21時頃:風呂
以降フリー
とかいう感じです。
意外と就活は時間が掛かるなと。確かに学生時代もなんかあっという間に時間取られていたのを思い出します。
かれこれかなりの数を応募しているのですが、依然として書類審査で落とされまくりです。まあ、そりゃそうだろうなと思いつつも、少し悲しくも思います。
じゃあなんでそんなになるまでの期間ニートしてたのか、と思われますがそれはそれで理由があります。いずれ書こうかしら。
話題2:最近見たアニメ
過去の投稿を見てもらうとわかると思いますが、私はアニメ好きです。(オタクと言えるほど知識はないけど、一般的な人からすればオタクだと思われるくらいの)
今期は【ひぐらしのなく頃に業】と【魔女の旅々】の2作品を見ています。もしかしたら増えるかも。
前者の【ひぐらしのなく頃に業】は過去のリメイクだとばかり思って1話を観ていましたが、2話になった途端「ん?!」って感じでしたね。
新しい展開が待ち遠しいです。
後者の【魔女の旅々】はとても好きな作品だと思いました。
世界観や主人公の性格やルックス、ストーリーの展開など、個人的にはとてもいいなと思いました。
3話あたりで賛否が分かれそうですが、世の中の勧善懲悪だけでは成り立たない表していて、よくある”全てを主人公が解決する”という作品と一線を画していて、これもありだなと気付かされました。
思うに、主人公は自らの意思で魔女になって、そこに至るために多くの自主的な努力をしていているから、被害者当人が頼むといった自主的な行動をしないとそこまで大きな手伝いというのをしないのかなと、勝手に思ってます。違うかもしれないけど。
いずれにせよ、この作品も今後が楽しみです。
話題3:作成中の動画
現在、動画を作成中です。といってもまだ台本と資料集めの最中ですが。
次の動画はオランダの【スパイカーカーズ】についてです。
はい。またもドマイナーメーカーです。
スパイカーのC8、とても好きなんですよね。
それで調べてみたら、現在のスパイカーの前に元となるスパイカーがあって、そこから来てたんだなと。
まさか1880年からあって、さらにオランダ王室の車両を製作していたとは知りませんでした。
こういう発見があると面白いですよね。
ロゴは前身スパイカーの生産品が由来だったりとか。
また知識が増えました。
完成したら是非見ていただければなと思います。
というわけで過去の製作物を展示しておきますので、是非見て行っていただければなと。
それでは
昨日の投稿についてとお礼
どうも久々の連日(に近い)投稿になります。
まあそれは置いといて、数日前の投稿を見てくださりありがとうございました。
おかげで登録者と再生数が上昇していたことに気付きました。
内容があまりにもニッチなのと、自分の動画技術的な問題で正直そんな伸びるような動画ではありませんが、少しやってみたいことがあるため、その第一歩として始めた次第です。
暫くの間は、今までアップロードしたようなメーカーの歴史や軌跡なんかを取り上げる予定です。
私自身の自動車知識向上とそのアウトプットということで…笑
なのでまた宣伝みたいになりますが、チャンネル登録や視聴をしていただけると励みになりますので何卒よろしくお願い致します。
久々に更新
久々に更新しようかなと。
近況報告として、動画投稿を始めたのと、転職活動を再開したのと、FP3級の勉強を始めたって感じです。
動画投稿については、YouTube上で自動車メーカーの解説動画なんかをアップしているので、もし見ようかなと思っていれば是非見てみてください。
⇩こんな感じの動画
転職活動については、なかなか調子が芳しくなく、ブランクもあるので書類審査でぼろぼろ落とされています。
面接通ってないし、もはや不安を通り越してます。
FPについては、なんか資格があればなと思い、汎用性が高そうなものを選びました。
年金についてだったり、思った以上に覚えることが多くて久々に頭がオーバーヒートしそうですが、学生時代を思い出したりとなんか懐かしい気持ちになりました。
以上です。
速く仕事決まってほしいっす。
イギリス映画の象徴:アストンマーティン(後編)
珍しく少し忙しくしていたので、大分遅れてしまった。
さて、前回は創業から1950年代のアストンマーティン社の歴史を見てきた。
創業したものの、支援者がレースで亡くなり経営難に。その後も安定せず、合計2回ほど危機に陥ったアストンマーティン。
戦時下でも余裕は生まれず、航空部品を生産することでなんとか生き延びることができた。
しかし戦後のDB傘下に入ると経営は少しずつ改善していったのだ。
というわけで、今回は1960年代から現在までの歴史を見て行きたい。
1960年代:とうとう映画に
1950年代後半から市販車を次々と発表し、1955年にはティックフォードを買収した。
この会社は、アルヴィスやヒーレーといった英国車のボディー製作を手掛けていた老舗会社で、買収したことにより、そこでボディー生産が可能になった。
DB2以降のボディーは同社が持つニューポート・パグネルにある工場で製作をしていた。
その後、ボディー以外も生産するようになり、スーパーレッジェーラ製法で製作された軽量ボディーの【DB4】、そしてそれにザガートが手を加えた【DB4ザガート】などがそこでデビューした。
1961年には、ラゴンダのブランドで【ラピード】が発表された。
従来の2ドアクーペではなく、4ドアの大型サルーンである。
これを機に、この後アストンマーティンが発表する4ドアサルーンのいくつかはラゴンダの名称が使われることとなった。
そして1963年。世界的に有名になる車種が誕生する。
【DB5】の誕生だ。
個人的には、ヴィンテージカーの中で一番好きな車種だ。
2年で約1000台ほど生産されたこの車は、【007 ゴールドフィンガー】でボンドカーとして抜擢され、世界的に知名度を与えた。
この影響は現在も続いており、この作品以降、この車はジェームズボンドの代名詞的な存在となった。
1965年には、DB5の後継として【DB6】が発表される。
一見変わっていないように見えるが、至る所でマイナーチェンジがあり、メッキバンパー部分や、エアコンの装備、パワステ装備といった豪華な装備が設定されたことが特徴に。
これにより、最大の市場であるアメリカでの販売を伸ばすなどして黄金期を築き上げた。
また、翌年1966年にはエリザベス2世が工場を訪問し、チャールズ皇太子に【DB6ヴォランテ】を贈るなど、王室でのプライベートカーとしても活躍する。
1967年には今までのDBシリーズからデザインを変更し、当時としてはモダンだったデザインを活用した【DBS】が発表される。
またデザインだけでなく、エンジンも変わっており、初期型は直列6気筒のままだったものの、1969年に新設計のV型8気筒エンジンのモデルが追加された。
このようにアストンマーティンの経営は安定しており、このまま順調に行くかと思われていた。
1970年代:危機、再び
DB傘下でのアストンマーティンは今まで以上にない安定した経営で、さらに新車種も多く産出するほど良い時代だった。
しかしそんなDB、【デイヴィッド・ブラウン・グループ】も安定は長く続かなかった。
1972年にはDBグループが経営不振に陥り、その結果、アストンマーティン経営権を手放さなければならなくなったのだ。
その後、【カンパニー・ディベロップメント】に100ポンドで経営権が移り、モデル名から【DB】が付かなくなった。
これにより、【DBS】は【V8】と車名が変更された。
これにより経営が安定するかと思われたが、さらに追い打ちをかけるように、今まで最大の市場であったアメリカで排ガス規制法が施行されたことにより、生産モデルが対応できず、1974年には販売が不可能になってしまった。
これにより、経営不振に再度陥り、翌年には従業員の解雇、工場の閉鎖などを実施した。
1975年にはカナダ人のミンデス氏、アメリカ人のスプラーグ氏、イギリス人のカーティス氏、フラザー氏、ターナー氏らで構成される投資家とアストンマーティン・オーナーズクラブによって救済ファンドに売却された。
このおかげで、工場が再開され、従業員が再雇用された。
また社名も【アストンマーティン・ラゴンダ・リミテッド】と変更された。さらに、今後の市場の拡大も判明し、日本やアメリカを含んだ全世界的な販売計画が明らかにされた。
このような援助の下、1976年には【V8ヴァンテージ】や【V8ヴァンテージ・ヴォランテ】、大型4ドアの【ラゴンダ2】などのニューモデルをデビューさせた。
さらに1979年には従来のデザインを大きく変更した【ブルドッグ】がデビューした。
当初は25台生産予定だったものの、試作車1台のみで市販は行われなかった。
1980年代:紆余曲折
1979年の第二次オイルショックにより不景気は引き継がれていた。
このため、本業である自動車生産は不景気のままで、再度従業員を解雇するなど、経営削減を行わなければならなくなっていた。
しかしながら1981年、経営の安定化を図る目的で、石油開発兼流通企業の【ペース・ペトロリアム】を経営するイギリス人実業家のガーントレット氏に株式が売却された。
これにより、経営の安定を取り戻すことができ、エンジニアリング開発子会社を設立するなど、事業の多角化を図った。
さらに、【007 リビングデイライツ】に【V8ヴァンテージ】をボンドカーとして出演させたり、そのザガートモデルである【V8ヴァンテージ・ザガート】などを発表した。
これにより経営は安定したものの、今度は生産設備が古すぎるといった問題や、燃費向上の問題といった経営に直接的に関わる、生産活動において重要な部分の投資は行われなかった。
そんな中、フォードは欧州の高級車メーカー買収に力を入れていた。
前のジャガーも買収されたように、アストンマーティンにもこの話があったようだ。
当時のフォードヨーロッパの代表だったヘイズ氏とガーントレット氏がイタリアクラシックレースのミッレミリア参加メンバーのパーティーで同席したことからアストンマーティン買収が決まったのだ。
これにより、1987年にはフォードに株式の売却を行い、傘下に納まることになった。
そして1989年には以前から計画されていた【ヴィラージュ】が発売された。
このモデルはフォードのパーツが使われており、従来のアストンマーティンモデルよりも品質が向上した。
1990年代:フォード傘下でのDB
1991年にはフォードによる買収が完了し、新しい経営陣の下、改革が行われるようになった。
ジャガーのレーシングカー開発を行っていたトム・ウォーキンショーが率いる【TWR】主導の元、開発が行われた。
また、デイビッド・ブラウン氏を役員として再び招集し、この結果、1994年には、フォードの生産技術が投入された新工場でイアン・カラム氏がデザインした【DB7】が誕生した。また後に【DB7ザガート/AR1】も製作される。
フォード傘下になったことで、今まで投資ができていなかった生産設備や技術開発に資金が投入でき、この結果、新しいエンジンや高品質な車両の生産が可能となり、世界各国で販売台数が増加、経営状態も安定するようになった。
また、フォード傘下のグループ間での自動車部品の共有化も進み、これにより購買の経費削減やグループ全体での品質の向上が見られた。
2000年代:まさかの…
しかしながら、9・11テロによって原油価格の高騰や、リーマンショックなどの影響でアメリカ全体が不景気になり、フォードも例にもれず経営が悪化。これによりフォードはアストンマーティンの売却を余儀なくされた。
この間に、同社は過去のノスタルジックなデザインを復活させ、ヘンリック・フィスカー氏、イアン・カラム氏設計の下、【DB9】を発表。ヒット作となる。
そして、2007年にはイギリスのレーシングチームである【プロドライブ】創設者であるデイビッド・リチャード氏やクウェートの投資家に4億7900万ポンドで売却された。
彼らは、販売ネットワークの拡大を行うとともに、同時に新モデル開発も行った。
これにより、DB9のアップグレードモデルで【007 カジノロワイヤル】でデビューした【V12 DBS】、オーストリアのグラーツにあるマグナシュタイアー工場で生産されたラゴンダ2の後継となる【ラピード】、そして環境性に優れる小型車両のラインナップが必要だったことからトヨタと連携し、日本で生産後、イギリスに輸出しアストンアレンジを加えたIQベースの【シグネット】などの新モデル開発も行った。
2010年代:様々な資本グループ
さらに2012年にはイタリアの【インベスティンダストリアル】が37.5%株価を取得、2013年にはドイツの【ダイムラー】と提携。翌年の2014年には元日産自動車副社長のアンディ・パーマー氏が最高経営責任者に。
また、2016年にはメルセデスAMGのエンジンを搭載した【DB11】が発表された。
また2018年からはレッドブルレーシングと提携し、【アストンマーティン・レッドブル・レーシング】としてフォーミュラ1に参戦している。
というわけでアストンマーティンの歴史についてでした。
個人的には自動車メーカーの中で一番好きなメーカーだったのですが、あまり知らないこともあったので、勉強するとてもいい機会でした。
また、007シリーズ最新作の【NO TIME TO DIE】でも最新のアストンマーティン車が登場するようで、今からとても楽しみです。
それでは。
参考資料
https://matome.response.jp/articles/2120
AutoWise
https://autowise.com/the-history-of-aston-martin/