ピエールSの戯言

自分の趣味の音楽や車、考え方、そんなのを書くだけ

自己肯定が低い人

一時期Twitterで話題になったらしい、自己肯定感の低い人。

読んでみると、確かに分かる気がして思わず「いいね」した記憶がある。

 

正直、自分で判断するのは難しいが、割と当てはまる項目が多々あったので、私もある程度自己肯定感の低い人なのかなと思う。

 

なので、ここでは自身を当てはめて考えて、何が原因で実際にどうなるのか、というのを見ていきたい。

 

さて、まずはじめに自己肯定感の低い人というのはどんな人か、を見ていきたい。

自己肯定感の低い人というのは、

・思ったことを伝えられない

・軸がなく周りに振り回される

・質問に対してはっきりと答えられない

・楽しそうなものを見ると気が滅入る

等…

ということらしい。

 

決まった定義というのはないが、要は軸がなく成功経験が少ない上で自信がなく、劣等感を常に感じている、みたいな感じなのかなと。

 

これを自身に当てはめると、

趣味や仕事、全てにおいて自信がなく回され続ける、という感じになる。

この結果、何してもだめかぁーとか、追い付くのは無理だろうなぁとか、ネガティブな感情に直結する。

そして、最終的に何もしなくなる。

怠いに近い感じかしら。

これに陥ると、表面上では相手を褒めたたえて尊敬しているように見えるが、実を言うと脳死状態な感じで何も考えていない状態になる。

 

普通の場合は、自分と他人の線引きが出来たうえで、他人の努力を尊重し褒めるだったり、成長と結果を褒める。

例えば、ある分野において自分は100%できるとする。

相手は50%くらいだが、結果を誇らしげに伝えてくる。

この場合は、自分の成績と切り離し、相手の成長を念頭に置いて話が進み、成長したことを褒める。

また逆に、自身が50%で相手が100%の場合は、相手の成長と成果を褒め、それを自身に当てはめ、相手を目標とするようになる。

 

自己肯定感の低い私はどちらかというと後者に近いが、大きな違いとして他人を他人としてみることはできるが、それ以上の感情はなく、一言で言うと「へぇー」という感じで、私には無理だ。という考えに陥る。

 

さて、ではこうした自己肯定感の低い人になってしまった背景にはどんなことが考えられるだろうか。

それには幼少期の影響が大きいと考えられる。

私の家は父親絶対な家庭で、たびたび両親のけんかが勃発していた。

私の成績のことについてや日常のあらゆることについて、などきりがない。

私はこの頃を「冷戦」と呼んでいた。

もちろん私自身も叱られることがあった。

が、私自身が反論する余地がなく、言われるがままだった。

成績については特に厳しく、平均点ですらアウト。

その段階で叱られ、スパルタが始まり、豆腐メンタルより酷いとか言われたり、罵詈雑言が始まる。

この結果、自身の学力には自信がなく、テストのランキングでは平均以上だとしても全くできた気がしなかった。

 

そんなこんなで、小さいころから既に自信がなかった。

 

それを引きずり続けるのはよくない、と気付いたのは最近だった。

社会人になり、数年を会社で過ごし、色んな人を見てきた。

良くも悪くも自信がありすぎる人、

私と同じように肯定感がない人、

根拠もないのに自信がある人、

大人になったとしてもいろんな人がいるんだなと実感した。

この人らを見ていると、自身がある人、というのはとても人生を満喫しているように思えた。

一方で、私のような肯定感の低い人らは全く輝いて居なく、人生に面白みを見つけていないように思った。

面白みを見つけていなというのは私もそうで、現在もそうだが、ここで何もしないのはよくないよなあと考え始めた。

それは、低い人らを観察し、なんで生きているんだろうと思い始めたからだ。

どうせしばらく生きていくのだから、何でもいいから楽しもうと思った。

行動しないと変わらないから。

そんなわけで、退職した。

まあ、今現在ニートだが、社会人時代よりかは満足度が高い。(金はないが)

 

難しいけど、自己肯定感を高められるよう、色んな事を実行してみよう。

 

(なんか半分脳死で文章打っているからひどく矛盾していることに気づく)