パワハラ?で鬱になった時の話
鬱と聞いてどんなことを思うか。
ある人は精神が弱い人、ある人は自分に甘い人、というような感じを抱くかもしれない。
もちろんすべてがすべて間違いではない。
私の場合は、メンタルの弱さが起因で鬱になった。
さて、話は少し遡り、新卒で入った会社での出来事。
メーカーに無事就職し、ある意味将来安定な会社に就くことができた、とこの時は思った。割と業界では有名で、グローバル展開、生産しているから安心して入社することができた。
入社暫くは座学で、基本的な社会人マナーやグループワークを通し、協調性を磨かれた。ここまでは特に大きな問題はなく、順調に進んでいた。
そして座学が終了すると、現場実習として実際の工場ラインに仮配属され、現場を知ってもらうことになっていた。まあ、ただの人手不足対応だと思うけど。
結論から言うと、ここでの実習は特に大きな問題はなく、むしろ製造ラインの方々が全員外国人だったため、半分通訳半分ライン工、という感じだった。
配属先のラインはライン長や責任者といった指示を出す人は日本人、実作業者は外国人だった。
外国人1人を除く全員は日本語が話せず、上司や先輩は全員英語が話せない状態だった。
そのため、説明をする際はその1人の外国人だけが頼りだった。
そこで、通訳という形で連絡係を頼まれたわけだった。
実際にラインで働くと意外と暇な時間が多く、(手元は作業しているが)外国人と英語で雑談することが多かった。
雑談をしていると、ある外国人は前職が船乗りで世界を回ったりだとか、看護師をしていたが低賃金で日本に来た、といった面白い経歴の方ばかりで、諸外国事情や文化の違いについて話した記憶がある。
また、実作業についても軽く身体を動かすことを必要とされたので、一日中デスクワークするより健康的な仕事だった。
そんなわけで、怖い改善係長を除けば基本的に楽しく仕事ができた。
で、問題の本配属先。
生産管理を行う部署に配属された。
当初は希望先でよかったと安堵していたが、そんなのは束の間。
この部署、手順書が一切なかった。
つまり、先輩から口頭で説明を受けることになっていた。
まあ、手順書がないのなら難しいことはないのだろうか?と思っていたが、全くそうではなかった。
納入先は約10社ほどあり、それぞれ別のシステムを用いており、このメーカーはこのPCを使って、このシステムを起動して、ここに何のデータを入れ、…
といった具合になかなか複雑だった。
メモを取りながら聞いたり、実際にやっていたがこれがなかなか厳しい。
なぜなら、OJTで進められるため、通常のスピードで説明を受けるのだ。
疑問点を聞いても明確な回答を得られず、何が何の処理をしているのか聞いてもまともに取り合ってくれない、という状態。
さらに、翌週からはその先輩はシルバーウイークで1週間もいない、という状態。
つまりこの間、すべてのシステムは私の指示下になる。さすがに、先輩以外でも取り扱える先輩や上司はいるだろうと思っていたが、先輩以外誰も知らなかった。
言わばブラックボックス化していたのだ。
その1週間は必至でメモして、目で記憶しようとした。
毎日が同じことの繰り返しなら何とかできたあが、毎日違うシステム、そして個別対応をしていたため完全には覚えきれなかった。
その1週間はマジで地獄だった。
覚えていたところの処理は問題なかったが、メモ通りにやってもエラーが出てきたり、うまく処理できないことがあった。
上司に相談しても無駄で、先輩が帰ってきてから対応しよう、ということになっていった。
そんなこんなで毎日が過ぎていった。
さて、1週間後、先輩が帰ってくる予定日だった。
しかし先輩は来なかった。
なんと、遊びすぎて風邪をこじらせたそうだ。ちなみに次の日も来ず、来たのは3日後だった。
帰ってきた先輩にエラーやら未処理であることを報告すると、人生で見たことのないくらい呆れ顔をされた。まあ、これについては私の不備もあるから仕方ない。
ただこの日を境に、先輩から私への態度は変わっていった。
当時、何回も申請していたのに個人PCが配布されず、先輩のを使わざるを得なかった。そのため、メール配信も先輩名義だった。今考えればそれもアウトな気がするけど。
で、そのメールを確認していた時に、「新人が使えない」といった旨のタイトルで、私の悪口が10行近く書かれたメールを同じ部の私以外の人物に回していた。
しかも結構前の日。
その間、上司から相談をされることもなく、誰からも何も行動されることはなかった。
その日から不信感は募り、先輩との距離感はさらに遠くになり、日に日に気まずくなった。
特に、今まで見たことのない処理を行う時に聞いても、ほぼ無言で、そんなのもわからないの?といった具合に手荒く対応された。
流石にこのままではまずいと思い、上司に相談をした。
結果、時間の無駄だった。
上司曰く、我慢しろのこと。
我慢はしているんだけどなぁと思いつつ、それ以上の回答は得られないと判断し、無理やり飲み込んだ。
翌日当たりから先輩と上司が相談している姿をよく目にするようになった。
あからさまに私の目に入るところで、立ち話のようにしている。
会話の内容も節々聞こえ、完全に私のことだと理解するのにそう時間は要さなかった。
いつの間にか、そんな全く楽しくもなく、暗い日を過ごすようになっていた。すべてにおいてネガティブになっていった。
そして問題の週。
月曜はいつも通りに暗い日を過ごし、何とか終わらせた。
歌謡の朝、問題の日だ。
朝起きようとしても、全く体が起きない。
風邪かと思ったが、熱はない。
それ以前に、熱で起きれない怠さの比ではないくらい、体が起きなかったのだ。
流石におかしいと思い、午前半休を上司に連絡。
午前中に病院に行くことに。
当時、寮で暮らしていたためかかりつけの病院などなかった。
スマホで内科を調べ、車を出すことに。
そこで診察してもらったが、通常の風邪ではないとのこと、もしかしたら…という医師の下、精神内科も同病院内にあったため診断。
そこで鬱と判断された。
そこからはスムースで、診断表を上司に提出、その日のうちに企業医から連絡があった。暫く休んだのち、もう一度専門医に行き、そこで休職か否かの判断を、ということだった。
結果、数か月の休職ということになった。
その週の土日に実家に帰宅。
会社から解放された安堵感がある一方、その安堵感以上に毎日が怠かった。
何もやる気が起きず、虚無だけだった。
センシティブな話、性処理的なのも全く気が乗らず、その手の動画を見ても何も感じなかった。
なるほど、これが鬱か。と一番実感した。
本当、何も気が起きなかった。
一方で、気分が乗る時もあったが、その時のテンションの上がり具合は異常だった。つまり、感情のコントロールが全くできず、制御不能状態だったのだ。
これらとその間のあかん出来事により、もはや脳死だった。
取り敢えず、寝ること以外全くやる気が出なかった。
結果、快復に約1年ほど要し、別拠点の別の部署に配属された。
結論として言えるのは、鬱というのは本当に厄介で治りにくく、回復したとしても何らかの影響を与える(ひねくれた思考みたいな)。
二度と味わいたくないものである。