幼いころにペットを飼う、ということ
幼いころ、特にモノゴコロつく前にペットを飼うことは、その子の人生観というか人間性を育成する上でとても効果的だと思う。
私自身がそれを経験したもので、これは私の人間性に深く根付いている、と感じている。
では、どういう風にいいのか、主に主観で見ていきたい。
キーワードとなりそうなのは、個人的には以下の通り。
1.友達
2.遊び
3.責任感
4.死
これらが大きくかかわってくると思う。
では、まず1つ目。
これは他の3つのキーワード全てに関連する。
モノゴコロつく前という状態では、まず家族以外に関われる存在が非常に限られている。いや、ほとんど家族以外関わることがない。
そんな中で、精神年齢的にも、純粋な年齢的にもほぼ同じとなるのがペットである。
つまり、子どもにとって家族以外の初めての存在がペットとなる。
家族とともにほぼ同じ時間を、同じ場所で過ごし、時に叱られ、時に褒められ、時にお互いを慰め、次第に友人、親友へと変化していく。
そして、幼い時期をともに過ごし、子どもが言葉を覚え、幼稚園や学校に通い始めても、ペットは言葉が伝わらずとも良き相談相手にも愚痴相手にもなりうる。
次に、遊び。
幼いころに遊ぶことは、のちの成長に大きな影響を与える。
創造性を養う、という言い方もあるが、それ以上に子どもがその時間を楽しんで過ごせているか、満足度が上がるか、という視点からも重要であると思う。
その遊びを一人で過ごすのか、別の誰かと過ごすか、この二択であれば圧倒的に後者なのではないか。根拠というのは調べてないが、思い返すと一人でいた時間より、他者といた時間のほうが印象に残りやすいし、時間を共有できることから思い出に残りやすいと思う。
さて、ペットと遊ぶとなるとそれがより一層残りやすいと思う。
理由としては、人間では思いつかない突発的な行動や、予想つかない行動をするからである。そこで問題行動をし、親が叱ればそれはそれで記憶に残るし、楽しい時間を過ごしたら過ごしたで、それもまた記憶に残る。
私はゴールデンレトリーバーを幼い頃から飼っていた。
特に川に行った時の思い出はなかなか忘れることができず、いまだに鮮明に思い出すことができる。
とても暑い日だったので、ボートを使って川下りをしていたのだが、さすがに犬は乗れず、浅瀬で伏せ寝していた姿がとてもかわいかった。
次に、責任感。
小学生中学年にもなると、ある程度のことができるようになる。
流石に散歩は犬のほうが大きかったためできなかったが、風呂や餌やりなどの閉鎖された空間でならある程度のことができる。
特に餌やりというのは、責任があり、特定の時間になったら、どれだけの量を与える、といった決まりがある。
確かにこれは小さな責任ではあるが、学校行事以外で責任を学ぶことができるいい機会でもある。犬種によっては散歩を任せることもできる。
何より、自分以外の親友の命を管理しないといけない、ということが責任感を自然に学ばさせる。
最後に、死。
死、というのは生き物には必ず伴う。
ただ、幼い子にそれをそのまま説明するのは難しいし、道徳などの授業で『命は大事』と言われてもなかなか明確にわからない。
死があるからこそ、今を生きている、とみたいなことを言われても恐らくその重要性を理解できない。
だが、ペットを飼うとそれを直に学ぶことができる。
ペット、ここで言うと犬の寿命というのは短く、恐らく10歳~15歳ではないだろうか。
幼いころからとすると、小中学校くらいではないだろうか。
ペットの日に日に衰えていく姿は、時に直視できず、時に助けが必要になる。
小さい頃はあんなに元気で、遊びまわって、人によってはいたずらをしたり、など、思い出がよみがえり、自然とその時と対比してしまう。
歩き方がよぼよぼになり、次第に寝ている時間が多く、寝ているのか起きているのかはっきりしないことが多くなる。
小さかった時は、エサの時間になるとそわそわしだし、ご飯を出すと我先にとかぶりつく。それが今となっては。
子どもはこれが歳をとるのだと、学ぶ。
そして、親友の看護をし始める。
ご飯へのがっつきもなくなり、ほぼ寝たきり。
呼吸は極めてゆっくりで、目も虚ろ。
しかし、子どもと犬との間には親友という大きな絆が存在している。
お互いが近くにいると安心するのはそのおかげかも知れない。
次第に反応が薄くなる。
そして、犬は安らかに眠る。
子どもはこの時初めて、親友の死を知り、死がいかに大きな出来事かを学ぶ。
命とは何なのか、どうして死が悲しいのか、ペットが何を教えてくれたのか。
こうして、子どもは成長するのである。
以上のことが、幼いころからペットを飼うことをお勧めする理由である。