ピエールSの戯言

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ダン・アリエリー著『予想どおりに不合理』を読んだ(二章)

久々に転職サイトを見てみたんだけど、まあなんか思った以上にしっくりこないもので。

基本的に直感的に生きてしまったので、考えが及ばない。

高い給料の会社を見ても自分はそんなレベルでもないし、どう考えてもついていけそうにない。

恐らくいろいろな場面で遭遇しそうな自身の価値という問題。

いや、というかそもそも物事は何を基準にして、その価値を算出しているのだろう。

 

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(今回割と長くなりすぎた感)

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というわけで今回も復習がてら、『予想どおりに不合理』の第二章、

【需要と供給の誤謬】

-なぜ真珠の値段は、そしてあらゆるものの値段は定まっていないのか-

を見ていきたい。

本章でキーワードになるのは”アンカリング””恣意の一貫性”という言葉だ。

 

この章も物語から始まる。

タイトルにもあるとある真珠売りの話だ。

 

時はWW2にまでの遡る。

ジェームズ・アセールという人物がいた。ジェームズはアメリカ軍に防水時計を売り、その需要を満たしていた。

しかし、大戦が終わるとアメリカとの取引もなくなり、手元には幾千もの時計が残ってしまった。当時の日本人はこれを欲しがるようになるが、当時の経済は言わずもがなな状態。お金を持っている人はいなかった。

だが、真珠の養殖に成功していた日本人は無数の真珠があった。

ジェームズは息子に真珠と時計を物々交換する方法を教え込み、結果、これは成功し息子のサルバドール・アセールは「真珠王」と呼ばれるようになった。

 

戦後からしばらく時間が経った1973年、とあるフランス人から黒真珠のビジネスを持ちかけられる。彼は自身の島を買ったが、そこにはクロチョウガイがごろごろいて、その殻から黒い真珠が出てきたそうだ。

当時、黒真珠の需要はなかったが、サルバドールは売りさばくことにした。

案の定そう上手くはいかず、注文が取れない状況が続いた。

しかし1年辛抱強く、もっと品質のいい黒真珠ができるのを待った。そしてそれを持って旧友の宝石商を訪ねた。

ウィンストンというその人は、NYの五番街に店を構えている。

そのショーウインドーに黒真珠を飾り、法外に高い値札をつけることを承諾した。

 

一方でジェームズは、豪華なグラビア雑誌に全面広告を出した。タヒチ産の黒真珠のネックレスが、ダイヤモンドとルビー、エメラルドといった高級な宝石と共にあしらわれたブローチで堂々と輝いている写真だ。

 

その結果どうなったか。

それらの効果はてきめんで、少し前までは見向きもされなった黒真珠が、裕福なセレブに首元に輝くようになったのだ。

ジェームズは、価値のなかった黒真珠を一気にとんでもない高級品にしてしまったのだ。

 

では、彼の行った行為にはどのような意味があったのか。

著者はここで、ハイイロガンを例にした。

要約すると、初めて遭遇する動く物体(ふつうは母鳥)に愛着を持ち、成長するまでその物体に付いていくというものだ。

つまり、手近なものをもとに最初の決断をし、さらに一度決めたことは貫く、ということだ。これを”刷り込み”と呼ぶ。

 

結論から言うと、これは人間にも当てはまる。

ある新製品に遭遇し、目の前の最初の価格をすんなり受け入れてしまうのだ。さらに言うと、その価格には、今後もその製品に同じだけ支払う気にさせるような長期的な影響がある。

これを”アンカー”と呼ぶ。

 

ジェームズは、滑り出しから黒真珠を世界最高級の宝石として”アンカリング”した。

これにより、以後ずっと黒真珠にはその価値がついて回るようになった。

これと同じで、私たちも新製品をある価格で買うと、その価格がアンカリングされる。

 

そして、その価格が恣意的でも受け入れる、というのだ。

流石にそんなわけあるか!と思うが、確かに自分たちの周りのモノの値段なんて原価があるとしても、その原価もどのようにして値段が決められたか、というのもあまり考えたことがない。

 

著者はさらなる実験を行った。

対象は例によってMITの学院生だが、彼らに対して、ワインやチョコレートなどを用意した。

その際に、それぞれに説明を加えた。どんな香りがするのか、専門雑誌で高評価を得た、何年に作られた、など付加価値を加えた。

さて、この実験では恣意的な価格がどう影響するかを見るものだ。

なので、最初にアンカーを決めなければならない。

そこで著者は学生それぞれの社会保障番号下二桁をアンカーとした。

その数字を紙に書き、それぞれのモノの隣に値札のように置いた。

例えば下二桁が12であれば、そのワインなどは12ドル、といった具合に設定した。

それが書き終わったら、それぞれの品物にその価格で買ってもいいかYES/Noと書かせた。

その上で、それぞれの品物に支払ってもいい金額を書かせた。

書かれた数字を元にオークションを行い、最高額入札者に代金を払ってもらい品物を受け取ってもらう。

という実験だ。

つまり、同じ品物に対して、下二桁が小さい値の人と、下二桁が大きい値の人とで入札額にどれだけ影響があるのか、というものだ。

結果は、大きく出た

著者は二桁を00から99までを5グループに分けた。

つまり、

【00-19】、【20-39】、【40-59】、【60-79】、【80-99】

というように分けた。

あるチョコを例にとってみると、上のグループ順に、

9.55ドル、10.64ドル、12.45ドル、13.27ドル、20.64ドル

というように、恣意的に決められた価格をアンカーに入札額が徐々に大きくなっているのである。

 

また、さらに面白いことがある。

それが“恣意の一貫性”だ。

こうした品物に支払ってもいいという金額は恣意的なものだった。しかし、そこに論理的に首尾一貫した部分がある。

それは、関連のあるものをペアにして考えると現れた。

例えばワイン。この実験では2種類のワインを用意した。

前述の通り、今回実験で使う品物には説明をつけた。ここでは、98年物と96年物のワインだ。

説明では、96年物のほうが希少価値があるかのように説明した。

金額などは述べずに、雑誌での評価が98より高得点だったとか、限られた生産数で、、といった具合に。

その結果、全員が98年物よりも96年物に多く金を出すという結果になった。

つまり、一つの製品についても出していい金額が決まると、同カテゴリーの品物にいくら出すかということも、最初のアンカーとの比較で判断されるのだ。

これこそが”恣意の一貫性”である。

最初の価格は恣意的なもので、でたらめな質問に対する答えにも影響される。

しかし、いったんその価格が自分の中で確立されると、その品物だけでなく関連する品物にもいくら出すか方向付けされてしまう。

 

さらに、そのアンカーは最初だけでなく長続きする。

自分たちのあらゆるものを見てみると値札が付いている。

この商品でこの品質や技術を直接見て、あるいは説明を受け、その価格に妥当性を見出し、その価格で買おうと決意したときにアンカーになり、刷り込みが起こる。

こうして、刷り込まれたアンカーは簡単には抜けず、最初の買い物だけでなく、その後も買い物の判断に影響を及ぼす

身に覚えはないだろうか。

一番最初に買った車の値段を。そして、その後別の車を買うときに最初の車と比較して判断していないだろうか。

好きだから気にしない…

ではガソリン価格ではどうだろう。初めて自分の金で給油した時の値段と、現在の価格を給油時に比較しないだろうか。

 

という感じで実験や現象は説明されている。

これらの実験からどんな教訓が得られるか。

最初の決断の重要性や印象がアンカリングされて、それが影響を及ぼしすぎていないか。この習慣の原点に立ち、今一度見直すこともよいのではないか、と著者は教訓を導いている。

そのうえで、支出に関して、何をするにも繰り返している行動に疑問を持つべきだと。

 

ちなみにこの章最後の節で、自由市場とアンカリングという節がある。

超ざっくり説明すると、経済学では自由市場で定められた価格は需要供給者それぞれの利益になるから、自身の所有物と売買で手に入れたい品物の価値を把握している、ということになっているが、本当にその価格に妥当性があるのか、ということ。

つまり、個々の品物から得られる満足度をかならずしも反映しない決断を市場でおこなっているんじゃね?という感じ。

まあ、個人の指標がそれぞれあるから何とも言えないけど、ある人が高い価値をつけたからといって、それが自分の価値に当てはまるかどうか、って感じなのかしら。

著者はこれの対策として、社会に不可欠なもの、水や医療などは政府でカバーすべきだ、という考えらしい。

 

数日前に日本はマスク転売に本腰を入れ始めた。

個人的にこの部分と重なるようなないような、な感じがしたので紹介してみた。

 

 

終わり