ピエールSの戯言

自分の趣味の音楽や車、考え方、そんなのを書くだけ

高価な所有意識

自分の持っているものが、他人が思うより高価だと思うことはないだろうか。

例えば、自分が大事にしている愛車。

どうしても売りたくないけど、どうしても売らなければならない、そんな窮地に立った時、中古屋に売りに行かなければならない。

その時に自身のメンテナンス記録や思い出などを思い浮かべる。

さて、愛車の値段はどうだったか。

査定の結果、自分の思っていた値段よりはるかに低い金額になってしまった。

メンテナンスも人一倍やったはずなのになぜ?

 

もちろん愛車のみの話ではなく、多くの人間は他人が決めた価値より自分が決めた価値の方が高くなる傾向がある。

 

今回の章ではこの現象の説明となる。

 

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さて、今回の8章は

【高価な所有意識】

-なぜ自分の持っているものを過大評価するのか-

というタイトルだ。

 

 

 

大学バスケットボール大会のチケット料金

例によって、著者の経験からこの章は始まる。

著者がいた大学ではバスケットボールが盛んであった。

バスケのスタジアムは古くて小さく、音響も悪いが、そんなのは関係なしに大学ではバスケはとても人気であった。

とりわけ、シーズンが始まるとその人気はピークに至る。

その結果、当たり前だがスタジアムは満員になるどころか、定員より多くの観客が集まってしまう。このことから運営側は希望者を募り、抽選で選ぶようにしている。

 

多くの学生は試合を観戦したいと心から願っている。しかし、抽選が終わればチケットの持ち主とそうでない人が出てくる。

著者はここに注目した。

果たしてチケットを勝ち取った学生=所有権を有する者は、同じだけ熱心に期待していたチケットを勝ち取れなかった学生より、チケットの価値を高く評価するのだろうか、ということを検証した。

 

さて、今回も結果から話そう。

これは多くの人が、そして著者も予想通りであったが、多くの所有権を有する学生はチケットを欲しがる人の金額より多額の金額を要求した。

しかもほとんどが無理難題の金額であった。

 

ある学生、ウィリアムという不運にも落選してしまった学生だが、著者はこのウィリアムに話しを持ちかけた。

著者はウィリアムに、このチケットを所有者から買えるとしたら最高でいくら支払うか、ということを尋ねた。

この結果、”175ドル”という回答を得た。

この金額に行きついた理由としては、175ドルもあればスポーツバーで試合を観戦しながら食べ物にお金を払っても、CDやもしかしたら靴が買えるだけの金が残ると思ったからだ、という根拠からであった。

 

別の学生、ジョーゼフは幸運にもチケットを獲得できた、所有権を有する者だ。

さて、著者はこのジョーゼフにも話を持ちかける。

もちろん今回は売る側として話を持ちかけた。

話始めた当初のジョーゼフの回答は”3000ドル”という学生のチケットとしては極めて高額であった。

流石に高いと説得した著者。

最終的にジョーゼフは”2400ドル”にまで値下げした。

ジョーゼフにその金額の根拠を尋ねたところ、

「この大学でのバスケットボールは学生の大部分を占めいている」と話始め、同大学のバスケについて熱く語り、大学を象徴する思い出として、子どもやしいては孫にまで話してやるいい経験になるという。「だというのに、どうやって値段をつけるのですか。思い出に値段なんてつけられます?」ということから結論に至ったとのこと。

 

他の学生にも同様の質問をしたところ、チケットが外れた学生たちは1枚につき”約170ドル”払う意思を見せた。この学生らの金額は、ウィリアムのように他の使い道によって調整されていた。

一方、チケットを有する学生は1枚につき”約2400ドル”要求した。この学生らもジョーゼフ同様、この経験が重要で生涯忘れられない思い出になるだろうことを価格の理由にした。

つまるところの話、誰も売る気など一切なかったのだ。

 

3つの不合理な奇癖

さて、著者はこの所有者が値段を高くつける理由について3つの要因を挙げている。

1つ目は、持っているものに惚れ込んでしまうこと。

2つ目は、失うことへの懸念。

3つ目は、ほかの人が取引を見る視点についてだ。

 

 1.持っているものに惚れ込む

 例えば、自身の愛車を売りに出すと決めたとしよう。

しかしその瞬間に、愛車で行った旅行について思い出し始める。もちろん旅行だけでなく、その車と共に過ごした時間も思い出す。洗車した思い出や、家族や友人らとどこかに行った思い出など。

この思い出を引き起こすのは、人間が何か手にした瞬間から愛着を感じ始める人間性の力である。

 

2.失うことへの懸念

これは手に入るかもしれないモノについてではなく、失うモノに注目してしまうことから発生する。

この結果、愛車に値段をつける時も、これから手に入るモノより、失うモノの方に注目してしまうのである。同じように、バスケのチケットを持っている学生は、それを売ったことによって得られる金よりも、感染の経験を失うことにばかり目が行く。

失うことに対する嫌悪は強い感情で、時折まずい決断を下すことがある。この一例が法外な値段だ。

多くの人間は、大切なモノを手放そうと考えた途端、そのモノを失うことを悲しみ始めるのだ。

 

 

3.取引の視点

これは取引相手の視点が自分の視点と同じだと思い込んでしまうことから発生する。

どういうことかというと、先の愛車を例にすると、その愛車との思い出や感情を共有していると思ってしまうのだ。

相手も同じ気持ちをもっている、はず、というように考えてしまう。

しかし買う側はそれよりも所有者の目に入っていない欠陥に気付いてしまうのだ。

 

 

さらなる所有意識 

 先ほどの3つの奇癖だけでなく、それ以外にも”奇妙な特性”がある。

一つに、何かに打ち込めば打ち込むほど、それに対する所有意識が強くなるというものがある。家具やソフトウェア、赤ちゃんなど、少しでも手が加えられるとそれに応じて所有意識も高まるのだ。

これを著者は【イケア効果】と名付けている。

 別の特性は、実際に所有する前に、それに対して所有意識を持ち始める場合があることだ。

例えばネットオークションで気に入った時計があったとし、この時点で入札額は自分が最高額であった。その次の日も自分が最高額で、これにより次第に腕時計を持つ自分について考え始める。

これによって、例えばオークション締め切り1時間前に誰かが高額の入力をしても、自分の時計が奪われてしまう、という意識になり、予定金額をオーバーしても入札額を上げてしまう。さらにオークションで長い間最高額入札者だった人は、この傾向がとても強い、つまり仮想の所有意識をもっと強く抱いていた

 

この仮想の所有意識は企業の宣伝でも多く用いられている。

例えば、新しい車のCM。

最新の技術で、楽しそうに走る運転手の図。これを自分に置き換えてしまうことで仮想の所有意識が芽生えてしまうのだ。

同様に30日間の返金保証システムも当てはまる。

後で心変わりしても30日以内なら返金するというシステムだが、家にそのモノを持ち帰った時点で仮想以上の、部分的な所有意識が芽生え、結果的にほとんどが購入するという。

 

 

これの対処法は?

この所有意識の対処法はほぼない

アダム・スミス曰く、所有意識はわたしたちの生活に織り込まれているそうだ。だが、それに気付くことは助けになるかもしれない、と著者は記している。

色々な魅力があふれている現代では、仮想の所有意識を持つのはほぼ避けられないのだ

強いて言えば、自分と目的のモノの間に距離感を置いて、できるだけ所有感をなくすことだ、と著者は結論している。

 

 

所有意識というのはなかなか難しい問題なのである。

 

 

終わり