先入観という思い込みの効果
先入観というのは一見隠れているようで、私たちの考え方に割りと大きな影響を与えるのではないだろうか。
歴史を見てみるとかなり当てはまる。
例えば人種的なこと。
イタリア人だから陽気だとか、不真面目だ、という感じで。
実際には真面目な人もいると思うが、この”イタリア人だから”という考えが先行し、実際の思考に影響を与える。
他にも、~製だから壊れないとか、~だから安心できるだとか、色々な所でさりげなく見られる。
さらに、見た目にも左右される。
清潔感があると信頼できるだとか、不潔だから仕事ができなさそう、だとかそんな感じで視覚情報やその人の思考などが先行すると、実際は異なるのに自分の先入観の通りの行動が目に入り、記憶され、自分の思った通りになってしまうことがある。
実際は詐欺師のように人を騙しているのにもかかわらず、正しいことをしているように見えてしまったり、仕事はできるのに不潔な部分に目が行き、正しく評価しなくなったり…
こんな具合に影響を及ぼしてしまう。
さて、今回の10章【予測の効果】-なぜ心は予測したとおりのものを手に入れるのか-はざっとこんな感じの内容である。
では、見ていきたい。
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フットボールの審判
案の定これも例から始まる。
著者と友人はフットボール観戦をしていた。
著者はイーグルスのチームのファンで、友人はジャイアンツのファンだ。
試合は終盤の残り6秒で、ジャイアンツが僅差でリードしている。
正直、フットボールについて全くの無知なので、何がどうなのかさっぱりなのだが、この際、イーグルス側がエンドゾーンの近くにいて、レシーバーがボールに飛びつき、ダイビングキャッチを決めたそうだ。
これにより、審判がタッチダウンの笛をならしイーグルス側の勝利かと思っていた。
しかし待ったがかかる。
レシーバーの両足がちゃんとエンドゾーンに入っていたかどうか審査が掛かったのだ。
スクリーン上ではかなり際どく見え、ジャイアンツ側がビデオ判定を求めた。
著者の見方では、エンドゾーン内に入っており、ビデオ判定が無意味に思えた。
が、友人はエンドゾーン外だったと主張。
全く同じ試合を見ていたにもかかわらず、考えは全くの真逆になってしまっているのだ。
これに疑問を持った著者は例のごとく実験をした。
予測実験1
対象はMITの学生だ。
MITの中にあるパブで、ビールを使った実験を行う。
目的は、予測によって、その後に起こる出来事に対する見方が影響されるか、というもので、ここではビールに対するパブの客たちの予想が、ビールの味の感じ方に影響を及ぼすかを調べる。
使うビールは二種類。
一つはバドワイザー、もう一つはMITブリュー著者らが作ったビールだ。
じつはこのMITブリュー、バドワイザー30mlにバルサミコ酢を二滴加えただけのものだ。
自分、ビールは飲めないのだが、バルサミコ酢を入れると美味しくなるのか…?
と、まさしく今回の内容のような先入観を自ら体験している。
さて、一人目の客が来た。
この段階では、MITブリューにバルサミコ酢が加えられていることを伝えていない。
両方を試飲してもらった結果、選ばれたのはMITブリューだった。
さて、次の客には前とは逆で、情報を開示した。
その結果、MITブリューを飲んだ際には顔を濁らせながら飲み、普通のバドワイザーを選んだ。
この後、多くの学生同様の実験を行ったが、二人の反応通りで、MITブリューの情報を開示していない場合は、多くの学生がMITブリューを選び、MITブリューの情報を開示した場合は多くが普通のバドワイザーを選んだ。
つまり、あらかじめ味がまずいかもしれない、という情報を伝えると人々がそれに賛同する傾向が高くなるのだ。
しかもそれが今までの人生の経験からではなく、”まずそう”と予想するからだ。
予測実験2
情報を提供しない場合と、提供してから試飲する、という2つの方法は分かった。
では、試飲した後に情報を提供したらその印象はどうなるのだろうか。
経験する前に知識を得るのと、経験した後に情報を得るのでは、どちらの印象が強く残るのだろうか。
知識が単に事情を知らせるだけのものなら、実験の協力者が情報を得たのが試飲の前後かでは問題にならないはず。
つまり、ビールに酢が入っていると事前に話せば味に影響を与えるはずであり、後で伝えたとしても同じように影響を与えるはずだ。どちらの場合でも、まずいという知らせを聞くことになるからだ。
知識が単に知らせる役目しか果たさないのならそれでなければおかしい。
逆に、事前に話すことが知覚を実際に作りかえて知識と合致させるとしたら、あらかじめ酢について知っていた人のビールに対する感想は、試飲してから聞いた感想と大きく異なるはず。
さて、実験の結果、ビールを飲んだ後に酢のことを知った学生は、事前に酢のことを知らされていた学生より、はるかにMITブリューを気に入っていた。酢のことを全く知らなかった学生と同じくらい気に入っていたのだ。
さらに、この後に加えて実験を行った。
事前に酢のことを知らせた《前グループ》と飲み終わった後に知らせた《後グループ》に、普通のバドワイザーとバルサミコ酢、MITブリューのレシピを与えた。
実験協力者が素直にビールにバルサミコ酢を加えるのか、加えるとしたらどのくらいの量を、そして情報の前後によってこの結果が左右されるのか検証したのだ。
この結果、前グループに比べ、後グループは2倍の人がビールに酢を加える決心をしたのだ。
後グループの人にとって、MITブリューは最初に飲んだ時に悪くなかったと判断したから、もう一度試してみるのも平気だったのだ。
なにもこれは、情報による予測だけではない。
視覚にも当てはまる。
例えば、高級そうなインテリアのあるレストランでは、多くの人が美味しく感じるし、スタバのような雰囲気の元では、他と比べても高いコーヒーに対しても財布が緩んでしまう。
教訓
以上の実験から分かるように、人間は経験や知識といった情報で簡単に惑わされてしまう。
つまり、情報によって左右されてしまうのだ。
そしてその情報というのは正しければよいものの、間違った情報を与えられてしまうと、その情報を基に判断し、選択を間違えてしまう可能性もある。
さらに情報への信念はいかなる結びつきよりも強いため、真実からより遠ざかる可能性も秘めている。
歴史を見ればそれを証明しているだろう。
では、これを繰り返さないためにはどうすればいいのだろうか。
著者は、それぞれの側の観点を関連なしに提示する、つまり、真実は明かすがどちらの側がどの行動をとったかは明かさない、としている。
また、誰もが偏った意見を持っていると自覚、容認すること、第三者による仲介が必要だ、と結論している。
確かに、全員がある特定のモノに関して偏見を持っていると自覚すれば、そしてそれを基に第三者によって仲介されれば、もしかしたら先入観や思い込み、固定概念を排除できるのかもしれない、と個人的には思った。
おわり